大阪地方裁判所 昭和41年(ワ)3663号 判決 1967年5月04日
原告 五十嵐衛
<ほか二名>
原告三名訴訟代理人弁護士 高村文敏
被告 村川光太郎
右訴訟代理人弁護士 三野秀富
同 井関和彦
主文
一、被告は、原告衛に対し五万円、原告久信に対し三万円、原告い子に対し一万円、および夫々右金員に対する昭和四一年八月一七日から各完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払わなければならない。
二、原告三名の被告に対するその余の各請求を棄却する。
三、訴訟費用は、これを三分し、その二を被告の負担とし、その一を原告らの負担とする。
四、この判決第一項は、仮りに執行することができる。
事実
原告ら訴訟代理人は「被告は、原告衛に対し一五万円、原告久信に対し五万三、〇〇〇円、原告い子に対し一万五、〇〇〇円、および各金員に対する昭和四一年八月一七日から完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決と仮執行の宣言を求め、請求原因及び抗弁事実に対する答弁として、次のとおりのべた。
一、原告五十嵐衛は、昭和三三年五月一九日生の児童であり、同久信は右衛の父、同い子は母であるが、原告衛は、昭和四一年五月二日午后三時頃大阪府河内長野市小塩町七六番地先路上において被告の占有飼育する秋田犬(三才位の成犬)に突如とびかかられ、その場にひきづりたおされ、ひっかかれ、咬みつかれるなどして、顔面、右肘、右腰、右大腿等に、及ぶ犬咬創を受けた。
二、被告は右犬の占有者として、右犬の原告らに与えた損害を賠償すべきである。
ところで原告らの被った損害額は、次の通りである。
(1) 原告衛は右傷害により受けた苦痛並びに発育途上にある幼い同人が受けた精神的衝撃は筆舌につくし難いものがあるばかりでなく、顔面に受けた犬咬創跡は生涯消えることがないから、これらによる精神的苦痛を慰藉するには一五万円が相当である。
(2) 原告久信、同い子に於ては原告衛の親として愛児の遭遇した右事故、なかんずく顔面の創跡について、その受けた心痛は甚大なものがあり、これを慰藉するには一万五〇〇〇円を相当とする。
(3) 原告久信は、原告衛の右受傷後被告の誠意ある回答が得られなかったため、弁護士に本訴の提起を依頼し、三万八、〇〇〇円を支払った。これは同原告が被告の飼犬による不法行為によって支出を余儀なくされた失費であり、原告久信の被った損害である。
三、よって、被告に対し、原告衛は、慰藉料として一五万円、原告久信は、慰藉料として一万五、〇〇〇円、財産的損害として三万八〇〇〇円の合計五万三、〇〇〇円、原告い子は、慰藉料として一万五、〇〇〇円及びそれぞれに対する訴状送達の翌日である昭和四一年八月一七日から完済にいたるまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
四、被告主張の抗弁事実は否認する。
被告訴訟代理人は「原告等の請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とする。」との判決を求め、答弁として、請求原因事実中、原告衛が昭和三三年五月一九日生の児童であること、久信、い子が右衛の父母であること、原告ら主張日時被告の占有飼育する秋田犬が原告衛をひっかき咬みつき負傷させたことは認めるが、他は否認する。とのべ
抗弁として、
一、仮りに原告衛が原告ら主張のように咬傷を受け原告らが損害を被ったとしても、
(一) 本件事故は、原告衛が銀玉鉄砲で犬をからかったために生じたもので原告衛の誘発によるものであるから、被告には賠償の義務はない。
(二) 被告は、飼犬秋田犬の占有者として、その種類及び性質に従い相当の注意を以ってその保管をなしていたから、被告には本件事故の責任がない。即ち、右秋田犬は性温順で未だかつて人を咬んだことがないものであるが、被告は右犬を飼育するために頑丈な犬舎をつくりそれに入れ犬舎には「犬のところに来るな」「大型猛犬に御注意願います」と注意書きしている又、犬舎を掃除するときには、入口柱のところに長さ一米一〇糎のくさりを固定してつないでいる。本件事件が発生したときは、犬がくさりでつながれているときであるが、被告方入口から前の工事用道路までには、軒先、測溝などがあって、しきいから路肩まで一米一〇糎あるから、犬は道路上に出ることができないから、右飼犬が路上で他人に咬みつくようなことは起りえなかったのである。
二、仮りに以上が認められないとしても、本件事故は、原告衛の前述のからかい行為及び同行中の原告い子の親権者としての注意義務を怠ったことがあずかって大きな原因となっているのであるから、賠償額の算定に、この点を参酌すべきである。
と述べ(た。)
証拠 ≪省略≫
理由
一、原告五十嵐衛が昭和三三年五月一九日生の児童であること、同久信、同い子は右衛の父母であること、および、原告主張日時被告が占有飼育する秋田犬が原告衛をひっかき咬みつき負傷させた事実は当事者間に争いがない。
そこで、右事故の場所並に原告衛の傷害の部位程度について検討するに、≪証拠省略≫によると、原告衛は原告ら主張の被告方前の道路上で前認定のように咬みつかれ、ひっかかれたものであり、これによって、顔、右肘、右腰、右大腿部等に九ヶ所に及ぶ咬傷、裂傷を受けその深さは皮下組織にも達するものもあり、合計十数針の縫合をし約十数日で治癒したが顔面右横三ヶ所に未だ顕著な傷痕を残している事実がみとめられる。
二、被告は、本件事故は原告衛が右犬を銀玉鉄砲でからかったために生じたものである旨主張するが、右事実を認めるに足りる証拠はない。
そこで、被告が右犬を占有飼犬するに際して相当の注意を払っていたかどうかにつき検討する。
被告は、本件犬が性温順で未だかつて人をかんだことがない旨主張し、被告本人尋問の結果によれば、右事実を認めることができ、右認定に反する原告い子の本人尋問の結果は信用できないし、右認定を覆すに足りる証拠はない。しかし犬が飼主(又はその家族)に対して温順で、未だかつて人をかんだことがない事実は何ら異とするに足りないことで、これだけで他人に危害を加える危険のないことの証左にはならないものであり、犬の飼主たるものは犬が夜間不法侵入者などに対処する場合なら格別であるが、通常時殊に昼間においては他人に危害を加えないように完全な犬舎を設けてこれに収容するとか、適当な場所に繋留するとかして他人に危害がないようにする保管上の注意義務があることは勿論である。
ところが被告本人尋問の結果の一部によれば、被告は自宅入口の軒下に頑丈な犬舎をつくり、平素はそれに本件犬を入れ犬舎から出した場合は自宅入口の柱につないだ鎖で繋留していること、本件飼犬は被告方の家人と他人との区別をよくわきまえた、所謂正義感の強い、雄の成犬であること、去勢手術をしていなかったこと、本件事故当時被告は犬を犬舎から出し、二米位のロープにつないで戸外に伴れ出し運動させた後伴れ帰って前記入口に繋留していたこと、を認めることができる。被告は当時長さ一米一〇糎の鎖に繋留し犬は道路上には出られなかったと主張するが、右主張に副う被告本人の供述部分は信用できず、却って原告五十嵐い子本人尋問の結果によると、当時本件犬はロープで繋がれたままであったこと、被告方表入口前の道路上で原告衛に馬乗りになっていたことが認められるから、被告は当時犬を運動から伴れ帰って鎖につなぎ替えず、ロープのまま入口に繋留していたものと推認することができる。
果してそうだとすると、被告の本件飼犬はこのように発情期にあり飼主と他人との区別をわきまえた所謂正義感の強い雄犬であるから、些少なショックにでも興奮し他人に咬み付く恐れのあることは被告に於て十分予知し、或は予知すべきであって、かかる犬を何らの予防処置を施さず他人の通行する道路に面した、しかも人の出入りする被告方の表入口に二米に近いロープで繋留していたことは、被告に於て飼犬の保管につき、著しくその注意義務を怠ったと言うべきである。被告は犬舎には「犬のところに来るな」、「大型猛犬に御注意願います」と注意書を掲示していたと主張するが、本件事故当時かかる注意書の掲示をしていたことを認める証拠はない。≪証拠判断省略≫
三、原告衛が前示受傷により肉体的及び精神的苦痛を受けたことは明らかであるので、その慰藉料額について検討するのに≪証拠省略≫によると、衛は小学二年生であること、加療後約一〇ヶ月経過した現在でも前認定のように顔面に三ヶ所傷跡があること、本件事故後犬に恐怖心を抱くようになったこと、戸外で余り遊ばなくなったこと、遠いところに行きたがらなくなったことなどの事実が認められ、これらの事情を参酌すると慰藉料額は五万円を相当とする。
又、同久信、同い子については、冒頭に於て認定した通り原告衛の父母として、同原告が前認定のような苦痛を受けたことに未だに傷痕が残っていること等による心痛を受けていることは敢て縷説をまつまでもなく明かであって、原告五十嵐い子本人尋問の結果によると、被告は治療費七、八〇〇円の支払をしたとは言えその後は誠意ある示談交渉に応じないことが認められ、それらの事情を参酌してそれぞれ一〇、〇〇〇円を相当とする。
次に原告い子本人尋問の結果によると、被告は本件についての示談交渉に誠意ある回答を示さないので、原告久信はやむなく弁護士に事件処理を依頼してその費用として三万八、〇〇〇円を支払った事実が認められ右支払額の中二万円は本件事件処理を弁護士に依頼するについて必要とした経費と認められるから、右二万円は原告久信が本件事故により失費した金額の中本件事故と相当因果関係のある損害と言うことができる。
そこで親権者である原告い子に過失があるかについて、判断するのに、原告い子本人尋問の結果によると、原告衛は当日母である原告い子の買物について行っての帰途被告方の前の道路上で本件事故に遭ったのであって、当時衛はスリムダンスをおどるような格好で走って行き、原告い子から約一〇〇米程先に行っていた事実が認められるが、前示のように原告衛は小学校二年生であったのであるから、親権者としては道路通行中は必ず手を引いて行かなければならないという注意義務があると言うことはできない。よって、原告い子には過失はない。
四、そうだとすると、被告は、本件事故の慰藉料として原告衛に対し五万円同久信に対し三万円、同い子に対し一万円とこれらに対する訴状送達の翌日であることの明かな昭和四一年八月一七日から各完済にいたるまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があることになる。よって、原告等の本訴各請求は右の限度においては正当として認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、九二条、九三条仮執行の宣言につき、同法第一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 喜多勝)